ジャンボ尾崎さんとの思い出
(増田光彦プロ)
1971年「日本プロゴルフ選手権」でジャンボ尾崎さんがプロ入り初優勝をした時の最終日に尾崎将司プロ・島田幸作プロ・私、増田光彦と同組でラウンドしました。
そのラウンドで、尾崎君は(当時24才)私(当時33才)、私の経験では考えられないくらいドライバーで低い球筋で凄い飛距離を出していました。
その当時パー5での2オンは尾崎君だけだったと思います。飛距離が出る事も凄いですが、同組でのラウンドで感じた事は、もしゴルフがサンドウェッジとパターだけの競技だったとしても、尾崎君が断トツ優勝するだろうと思う程小技も抜群でした。
最終日のラウンド終盤では、数ホール残したところで、尾崎君のスコアが良かったので私と島田君は、尾崎君の応援ラウンドになってました。 この日本プロゴルフ選手権での尾崎君の優勝をきっかけに、日本中にゴルフブームがおきた事を肌で感じた1日でした。
また、この試合から尾崎君がインタビュー等で「もし私(尾崎プロ身長181㎝)と増田さん(身長157㎝)が同じ身長だったら、増田さんの方が飛ぶ」とコメントした事により、台湾のプロから「ミニジャンボ」と言うニックネームをつけられ、各方面からインタビューを取材される事が多くなりました。
後にも尾崎君との同組ラウンドも数多くあり、いろいろと思い出がありますが、特に印象深かったのがある時、私が尾崎君に野球の話をしたら、「増田さん、私は野球については一切分からないのでご勘弁してくたさい」との返事が返ってきて驚いた事です。それだけゴルフに集中していると感じました。
あと尾崎君は趣味で盆栽もしていたそうで、高松市鬼無町、国分寺町に来て数多くの盆栽を買っていたそうです。
本当に、素晴らしい功績を残した尾崎君の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
▲1971年日本プロゴルフ選手権 表彰式の写真 (フェニックスカントリークラブ)
(左から)青木功プロ、(後方)佐藤精一プロ、増田光彦プロ、杉本英世プロ、尾崎将司プロ
●記事・資料提供/増田 光彦プロ
プロフィール
増田光彦プロ
ワイヤーアーティスト 元・PGA副会長、中四国プロゴルフ研修会名誉顧問
昭和12年12月1日生まれ。熊本県出身、香川県在住。15歳からゴルフを始め24歳の時にプロテストに合格。1973年、74年に中四国オープンで2連勝を果たす。1983年には日本プロ選手権で9位。その後、日本プロゴルフ協会副会長に就任。1999年には日本スポーツ大賞 功労賞を受賞。弟子には鈴木則夫、故・井上裕子、自身の子供3人、他にも沢山のプロを育てる。現在はプロゴルファーになる前から興味があった芸術の道に進み、1本の丸線材で細工するワイヤーアーティストとして活躍中。ゴルフをモチーフにした作品から始まり、最近では他のスポーツや、踊り、楽器を使う人等、作品の幅を広げ創作を行っています。





























